七味唐辛子などの香辛料を、素材から徹底的に吟味し、伝統の手法で丁寧に製造。自店や各地の百貨店などで販売している。なかでも素材の一つである赤唐辛子は、国産の「鷹の爪」を自ら栽培する他、全国の契約農家に依頼。国内に流通する赤唐辛子の99%を外国産が占める今、貴重な「鷹の爪」純系品種を守り続けている。
江戸時代より330年、堺の醸造業の伝統を受け継ぐ老舗。雨が降っても風が吹いても商いを休まなかったことから、『雨風屋さん』と呼ばれたという。現在は醤油や味噌の他、手作りの「糀(こうじ)」を使った商品を製造・販売。日本古来の技と味を伝えるため、直営店の運営、料理教室の開催にも力を注ぐ。
化学調味料や保存料、着色料無添加の食品づくりを行う。主力商品であるハンバーグをはじめとする加工食品は数多くの飲食店等に納入されており、高品質の商品は有名シェフや一流ホテル等から定評がある。また、一般消費者向けにECサイトで販売を実施し、「グルメ大賞」や「日本全国のお取り寄せグルメBEST5」を受賞するなど高い支持を受ける。
自社開発した設備はもとより、メーカーから購入した設備もメーカーに依頼し、自社独自のノウハウを詰め込んだものとしており、他社との差別化を図っている。
業界では先駆けとなる米粉を活用した「コメ粉パン」を開発し、米粉を利用した食品のパイオニアとして挑戦を続ける。
「水なすは大和川を越えず」と言われた時代から、他社に先駆け独自の加工技術で全国に広め、海外市場を目指す。
トレサビリティーのとれるコーヒー生豆を輸入し、5種類の焙煎方法により、コーヒー生豆を素材を活かせる。
創業者が、当時としては珍しかった自家焙煎コーヒーの販売を京都で始めたのは、戦後間もない頃。その後、日本人の食生活の変化とともに成長を遂げた。百貨店内での直営店展開をはじめ、市場の拡大に伴い、堺市内に支店を開設、焙煎工場も移転させた。こだわりのコーヒーを、ここ堺から全国の直営店と取引先に提供する。
伝統の茶菓子や祭事に欠かせない赤飯や紅白饅頭に至るまで、「味覚」と「視覚」の美を絶えず追求する。
「和菓子は工芸のように奥が深い」と語る岡田代表。匠の手のひらで巧みに作り上げられる上生菓子は、正しく芸術品である。桜、菊、椿といったように季節を目と舌で楽しむ日本の風流が小さな甘味に宿る。手作りにこだわり、量産はしないが、それだけに一つひとつに込められた匠の技と心が、人の記憶にいつまでも残る味となる。
宮崎産の最高級のさつまいもを使用し、独自の製造方法で焼き上げた「浜寺銘菓 スィートポテト」を開発。
明治42年創業の和菓子の老舗が産み出した今までなかった和菓子のスイートポテト。洋菓子のスイートポテトをヒントに昭和の初期から作り続け、多くのファンに愛されている。こだわりの素材を使用し、手作業で丁寧に作られる銘菓は、近隣の人には懐かしい味、初めての人には新しい味。堺名物として全国に広がってほしい。
お正月の縁起担ぎとして飾る風習のある「にらみ鯛」の製造で全国一の規模を誇る。
「日本中で魚をもっと食べてほしい」の願いからお正月の「にらみ鯛」をはじめ多数の水産加工食品を開発・製造。料理学習会なども開催し魚料理の普及に寄与している。それを裏付けるのは、FDA-HACCP(対米輸出水産食品加工施設)認証を取得したハイレベルの品質・衛生管理と顧客満足を追求した商品づくりだ。
1963年に世界で初めて食酢の粉末化に成功し、「すしのこ」を市場に送り出して大ヒットさせた。1996年には、飲む酢のブームの火付け役となった「はちみつ黒酢ダイエット」を発売し、第18回食品ヒット大賞に輝いた。さらに革新的な商品開発をめざすため、社内公募による医師などのプロフェッショナル養成にも力を注いでいる。
戦前は昆布加工業を行っていたが、戦後に国内で五指に入るほどの昆布卸問屋に成長。1963年に加工業を再開し、現在に至っている。北海道産の昆布を現地で直接買い付け、昔ながらの製法でじっくり炊き上げるなど、素材選びから徹底的にこだわった商品づくりが信条。本社内に自社のショップを運営し、昆布の普及にも努めている。
江戸後中期の寛政年間に創業した「河又」に端を発する老舗醤油メーカー。かつて一大醤油産地だった堺市だが、現在も残っているのは大醤株式会社のみ。大豆や大麦などの原料からの一貫生産を行っているのは、大阪府唯一だ。近年は、醤油を加工した調味醤油にも力を入れており、舌の肥えた関西人たちの支持を集めている。